実は新宿生まれ。


1988年6月28日
東京都新宿区西新宿というスーパー大都会で僕は産まれた。
父親と母親と7つ年の離れた姉がいる。

父親は2回目の結婚で前の奥さんとの間にも子供が2人いるらしい。
前の奥さんはもう再婚してるとか。
23歳の時に知ったんだけど、母親も実はバツ1だったらしい(笑)
子供は出来なかったみたいだけど。

父親はなんか不動産の怪しい仕事してた。
でも儲かってる時は夜ではっちゃけてお金を全部使って家にはお金を入れてくれなかったらしい。
まったく仕事が稼げなくなって一日中家にいる事も多かった。
だから母親が昼間働いて、何故か父親が家にいるってゆー不思議な家庭だった。
そんな事、小さい僕には当時分からなかったけど。
ただ、幼稚園や学校から帰るといつも家に父親がいるってのは不思議には感じていた。だって幼稚園の友達の家とか行っても父親がいるなんて事はまず無かったから。
でもそんな事どーでも良かった。
父親の事が好きだったから。家にいてくれるのは寧ろ良かった。

西新宿で子供が育つってのは普通の人の感覚では理解できないらしい(笑)
とりあえず言える事は、景色はコンクリートと高層ビルだということ。
小学校の周りとかみんな木が景色らしいけど、僕は都庁とか野村ビルとか住友ビルが景色だった。
でもね、意外と下町なんですよ。西新宿って。
八百屋も魚屋も駄菓子屋だってあるんですよ。
確かに道路は常に4車線だったりするし夜遅くでも車の音はずっと聞こえてるけど(笑)

でもあの街が好き。
今でも行くと落ち着く。

中学生の時の社会の教科書に出てくるドーナツ化現象。
あれの真骨頂だったのが当時の西新宿だった気がする(多分今もだけど)
小学校の全校生徒の人数ってみなさん何人ですか?
って福岡の人に質問するとだいたいみなさん「1000人くらい」って言う。
凄いよね!東京の人に同じ質問すると「400人くらい」がせいぜい多くてって感じだからさっ
じゃあ西新宿は?
僕が通ってた学校は、淀橋第三小学校って言うんだけど、全校生徒の数がね。。。
なんと”86人”!!!!
全校生徒で86人しかいないんですよ(笑)
当たり前だけど6学年ぜーんぶ1クラスしか無い。
多い学年で15人くらいだったかな?
僕の学年が一番少なくて、なんと8人!!
どんなに頑張っても7人しか友達が出来ないの。
全校生徒と知り合っても100人も友達出来ない。
そのクセして「友達100人出来るかな」を音楽の授業で歌わされたときには流石にイラっときた。

「この学校に入学した時点で無理だよ。。。」

でも少ないからいつもみんな一緒。
学校で遊ぶ時も終わった時もいつも一緒。
それが楽しかった。

生徒が少ない分、先生との距離感も物凄く近くて、学校の休みの日に担任の先生に海釣りに連れってもらったりもした。
校長先生が物凄く良い人で休み時間に校長室にみんなで遊びに行ってた。
当時まだ全然流行してなかったデジカメで写真を撮ってくれてプリンタで印刷してくれたりした。
今振り返ってみてもホント素敵な人だったなと言える。

遊ぶ場所は近所に小さな公園があるから、そこにで遊ぶか、あとは高層ビルに入ってそこでかくれんぼするのが楽しかった。
京プラ(京王プラザホテル)でのかくれんぼは最高だった。
当時の大人はみんな優しくてホテルのロビーとかでギャーギャー走り回ってもなんも言わなかった(流石に客室に勝手に入った時はつまみ出されたけど)

当時の大人の心境からすれば西新宿で生まれて遊ぶ場所の少ない僕たちを可哀想に思う気持ちもあったんだろーなと思う。
それを含めやっぱ良い大人たちに感じた。

西新宿は大都会だからなんというか色んな声がする。
振り返ってみれば今の僕の感受性の基礎となったのはこの時の声を感じたのがきっかけだったんだろう。

「生まれ育った西新宿の住んでたビル」

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「西新宿の商店街」
意外と下町です。

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「通ってた幼稚園」

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「通ってた小学校」

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